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橋本  明

14歳からギターを始める。 16歳からロックバンドを始める。 18歳からヤマハ系の講師や、のちにプロとなったミュージシャン達とバンドを結成、数々のコンテストで賞を得る。 25歳 大分市の河合楽器エレキギター教室の創設者となる。 すぐにアコースティックギター講師も兼任。 同時にピアノの先生等のDTM(コンピューター音楽)講師も勤める。 35歳 河合楽器を退社し、36歳、古い一軒家を借りてアキラギター教室を開く。 一時期、全国のカラオケ配信のMIDI制作業務も兼任する。 現在は畑中(奥田)教室に移転。   写真は23歳くらいの頃の、ステージの時のもの。

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2017年2月21日 (火)

音楽回顧録 18{ 高校三年、文化祭、予選 2 }

ついに文化祭の予選当日だsign01 朝早く、音楽教室で練習してもいいよ!、という許可を音楽の先生にもらったんだ。dog

音を合わせてみると、初めてなのに、練習期間たったの3日なのに、ベースのK君はバッチリで、ボーカルの?君も多少、音程は狂うが(笑)、パンチがあって良い!happy01

みんなで、「僕たち、バッチリだね!今日は合格するに間違いないね!頑張ろうね!」、っと言い合ってお互いの授業へと向かった。penguinfishfish

放課後、いざ、本番、うん、いい感じ、ドラム・ベース・ギターっていうスリーピース、 トリオ?っていうシンプルでブラックなツウ?っぽい演奏にヴォーカルがかぶさってきて、いい感じである。shine

中盤、「待ってましたあ! いよいよギターソロを弾くぞー!」、って時に、ヴォーカルが順番を間違って、2番を歌い出してしまった。thunderthunder

「ああ!やばいsign03 これでは見せ場のギターソロがなくなってしまう!」

、ということで、メンバーに目配せして、もう一回、リードギターのところに戻ってもらうことにした。

阿吽の呼吸で、ギターソロのところに、アドリブでドラム・ベースが戻ってくれた。

だが、あれれ? 今度は私がオロオロして、原曲のリードギターのフレーズを丸ごと真っ白に忘れてしまったんだ。crying

仕方なく、私は人前で生まれて初めてのアドリブをすることとなった。sweat01

ペンタトニックとマイナースケールの混合フレーズだった。

今も、その音源が残ってて、数年に1日、聴くことがあるが、いや〜スリリングですねえ〜。happy01 予選には落ちたけど、決して悪い演奏ではなかった。 

もちろん当時もヴォーカルを恨んだり文句を言うことはなかった。

ちゃんとドラム・ベースが戻ってくれたのに、とっさの出来事に舞い上がって、対応しきれなかった私の能力不足である。think

ただ、練習はもうちょっとみんな揃って、何ヶ月も前から、何十回もきちんとやらんといけんなあ!、という教訓をしみじみと感じたのであった。thinkthinkthinkpenguin