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橋本  明

14歳からギターを始める。 16歳からロックバンドを始める。 18歳からヤマハ系の講師や、のちにプロとなったミュージシャン達とバンドを結成、数々のコンテストで賞を得る。 25歳 大分市の河合楽器エレキギター教室の創設者となる。 すぐにアコースティックギター講師も兼任。 同時にピアノの先生等のDTM(コンピューター音楽)講師も勤める。 35歳 河合楽器を退社し、36歳、古い一軒家を借りてアキラギター教室を開く。 一時期、全国のカラオケ配信のMIDI制作業務も兼任する。 現在は畑中(奥田)教室に移転。   写真は23歳くらいの頃の、ステージの時のもの。

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2023年8月 1日 (火)

今日の思い 17 「子供の夏」

8月1日、今日の11時過ぎ、教室の近くの裏道を自転車で通ったら、気温がどうのこうのは知らないが、今年で一番の暑さを感じた。

 

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しかし、私の薄らかな記憶では、子供の頃の方が、夏は、嫌になるくらい暑かったと思う。

 

なんか道路に、湯気が出ていたり、かすかに、『蜃気楼』、みたいなものも、見えたこともあった気がする、、、。

  

気温的には、今の方が温暖化の影響で、暑いはずなのだが、、、。

 

なぜだろう?

 

それは、多分、自我・自意識の強さの違いから、くるのかもしれないね?

 

確かに、私は、子供の頃、自我の発達が遅かったと思う。

 

小学校1・2年の頃とかには、他の子と比べても、ほとんど自我が無かったような気がする。

 

よって友達との会話も、よく聞きとれなかったり、理解できなかったりしたことが、多かった。

 

とはいえ、発達障害とかいうことでも無かった。

 

きわめて普通の、おとなしい子であったと思う。

 

よく近所の子たちと遊び、スポーツも勉強も、中の上くらいだった。

 

あまりに自我がないので、悪ガキの格好の餌食にされ、いじめられて困った時もあったが、それ以外、なんか特別、トラブルを起こすこともなかった。

 

ただ、ボーっとした子だったと思う。他の子よりも、エゴが弱かったのは、確かなことだと思う。

 

ヒヤシンスの球根を、水を入れたビーカーで育て、初めて芽が出ると、ずーとそれを見つめて、陶酔してた。

 

エゴが少ないので、私とそれを遮るものがなく、ヒヤシンスと一体になっていた。

 

スイカを植えた時もそうだった。ずーと、育ってきた小さなスイカを、さあ何十分も見つめ、幸せに浸っていた。

 

あれをもしかすると、トランス状態と呼ぶのかもしれないね? または、『三昧』、『忘我』、などとも言うのかな?

 

子供の頃は、よくその状態になっていたと思う。

 

でも、中学生くらいから、どんどん自我が発達していって、頭がすごく回るようになった。

 

で、教科書をサッと読めば、全てのページを一瞬で記憶できるようになり、ほぼ全ての教科で、100点を取った。

 

中学の数学・高校の物理と、先生が出した、『東大の、ひねり問題』、も、私だけすぐに解けた。

 

しかし、それはそれなだけで、全然、幸せを感じることではなくて、子供の頃の、『忘我』、に勝ることはなかった。

 

そう、こうして、教育と日常生活の反復的習慣によって、自我が発達し、人間は大人になっていくのかもしれない、、、。

 

でも、最近、歳をとるにつれ、また、『自我』、が減って来て、心に空間が増えて来てるような気がするのは、気のせいだろうか?

 

まあ、子供の頃のような、『忘我』、になることなどはないが、ギターを、ただただ練習してると、普通に日常を忘れて没頭している時がある。

 

もちろん、雑念も、よく弾きながら湧いてくるし、それを、うまくそらしながらの~うまく弾き、、、なんてこともありながらの、『没頭』、なんだが、それも今の私には、楽しい時間なのであった。

 

さあ、私が言ってることは、なんら特別なことではなくて、皆さんが子供の頃から、経験してきたことではないだろうか?

 

『いや、そんな、変なことは私にはなかった!』、という人は、ただ、忘れてしまってたり、今までの、いきさつが見えてないだけではないだろうか?

 

その根拠となるのは、ただスーパーとかでよく目にする、小さい子の行動や仕草を目の当たりにしただけのことによるものであり、また、それで充分なことなのであった。