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橋本  明

14歳からギターを始める。 16歳からロックバンドを始める。 18歳からヤマハ系の講師や、のちにプロとなったミュージシャン達とバンドを結成、数々のコンテストで賞を得る。 25歳 大分市の河合楽器エレキギター教室の創設者となる。 すぐにアコースティックギター講師も兼任。 同時にピアノの先生等のDTM(コンピューター音楽)講師も勤める。 35歳 河合楽器を退社し、36歳、古い一軒家を借りてアキラギター教室を開く。 一時期、全国のカラオケ配信のMIDI制作業務も兼任する。 現在は畑中(奥田)教室に移転。   写真は23歳くらいの頃の、ステージの時のもの。

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2018年12月 2日 (日)

音楽回顧録 19 「ヤマハ系ギター教室に入学」

私は高校を卒業して、すぐに働きだした。run

 

本当は大学へ行きたかったが、家庭の事情で叶わなかった。think

 

そこは私にとっての人生の大きな分岐点sign01だった。

 

18歳の時、仕方なく、ものすごく嫌annoyな仕事(もう、この時点で仕事として、姿勢がダメである、、、向いていない、、、するべき仕事ではないsign03、、、。)をさせられながら、唯一の心のオアシスspaとして、ヤマハ系のギター教室に通うことにした。sun

 

もう、その時はギターを始めて、独学で約4年を経ていた

 

その時の先生は、もう大分では有名で、約一年後にはプロミュージシャンになった、『H先生shine』、だった。

 

そのヤマハ系の楽器店の社長の言伝により、私は、『(初心者コースである)エレクトリックギター教室』、ではなく、『(上級者コースである)ブルースギター教室』、に配属upされた。

 

初めて教室に入ると、口ひげを生やした寡黙な、『H先生shine』、と、もう一人だけ、おとなしい、けど、フレンドリーな、『G君』、がいた。

 

『H先生shine』、が言った。

 

「え~、君たちは、少しレベルが高いみたいなので、このコースになりました。今日からよろしくね!、まずは1曲目として、この曲を教えて行きたいと思います。、、、ちょっとごめんね?、少し練習しといてね?」、と先生が5分くらい席を外した、、、。

 

戻ってきた先生が、

 

「さて、少しは弾けるかな?eye

 

私はそのプリントの全てを、もう弾けるようになっていた。happy01

 

「ひえ~sign02、ありえないねえ~、アキラ君、君にはもう今日は教えることはないよね~、、、sweat01

 

そして残り時間は、全て、『G君』、のレッスンを見ているだけだった。think

 

そういうレッスンが、2回続いた。typhoon

 

3回目に、『G君』、が来ていない。eye

 

先生が、

 

「あのね、アキラ君?、『G君』に、アキラ君にはついていけないので、レッスンを別にして!って言われたんだよねえ?sweat02

 

「え!、そっ!、そうなんですかあ?、、、sweat01

 

せっかく音楽の友達ができそうだな?って思ったのに、、、think

 

続く、、、。thinkthinkthink