音楽回顧録 22 「社会人バンド結成!」
私は高校卒業後、すぐにヤマハ系のギター教室に3ヶ月の間だけど、通っていた。
18歳だった。 すぐに誕生日の関係で19歳になった。
その楽器店のピアノの男性講師Fさんから連絡があり、すぐ、スタジオに入った。
ベースは、面識はないけど、同い年のH君、ドラムは大分大学のJAZZ系のサークル、『スイング・ブラザーズ』、のH君、、、
ん?、なんだか私を始め、私の周りは、イニシャルが、『H』、だらけだ、
もうひとりのギターは、M君だ!
ボーカルは美人の、大分芸術短期大学生のHちゃんだった。
だいぶ昔の話なんで記憶が、さだかではないが、最初、Fさんに会って自分のギターを弾いて聴いてもらった時、
「んん? なーんだ!、その程度か!(笑)。Hさん(H先生のこと)も大袈裟だなあ?
」
、とかいう感じで言われたと思う、、。
確か、私が高校時代に作曲して弾いた、カセットテープも聴いてもらったら、、、。
「ん?、でも、君?、なんか光るものを持ってるねえ、うん、一緒にやろうよ!」
、みたいな感じで始まったと思う。
Fさんは神経質な反面、いいかげんな部分もあり、ベースのH君は、Fさんの近所の後輩らしく、全然弾けない初心者だった。性格は悪くはなかったが、全然、弾けなかった。
のちにやはり、すぐ脱退した。
ドラムのH君は、すばらしい、天才的なドラマーだった。
大分大学の音楽サークルには、その当時、ドラムのH君のつてで、私はそこそこ関わっていて、サークルの女の子などに、ギターを軽く教えたりもしていたが、全楽器で、彼みたいに飛び抜けて秀でていたのは、彼だけだった。
彼はのちにプロになった。
Fさんのアパートで、私とH君と三人で飲んでて、音楽の話になると、H君がそこにある茶碗を箸で叩きながら、
「こういうリズムではどうですか?」
なんて、提案する。
なんていうか、私は、その、H君の叩く茶碗の綺麗な音、(風鈴の音より綺麗だった
)、にびっくり
その時、思った、、、。
「ああ、楽器の質・値段なんて関係ないんだ、技術なんだ
」、って。
まあ、できるだけ楽器もいい方がいいけどね、、、(笑)、、続く、、、、。