音楽回顧録 14 「コンピュータミュージック」
私は機械好きである。
私のレッスン室(ただの古い和室である。)に来た生徒さんはまず、機械とシールド(コード)の多さにビックリすることになる(笑)。
機械が好きすぎて私は機械と結婚したのかもしれない! あ~SFティック?(笑)。
うっそで~す(笑)。人間の方が好きで~す
コンピュータミュージックの先生としては、河合楽器時代には主にシーケンサー(音楽用コンピュータ)と、シンセサイザー(キーボードの一種でいろんな音が作れる楽器)、電子オルガンであるドリマトーン(ヤマハはエレクトーン)のMIDIコントロール・操作等を、当教室では主にMAC、たまにWINDOWSを教えてきた。
河合時代は主に電子オルガンの女性の先生たちや高校生の生徒さんたちに、シーケンサーやシンセ(カワイ、コルグ、ローランド等)を教えていた。
河合のピアノ・電子オルガンの先生たちの文化会館などでの合同コンサートには、音響チェック係として、かり出されていた。
でも、業者の人もプライドがあるんで、「あ~そこミドルを少し削って欲しい、出来れば500Hzあたりも、、、」、とか言いたいが、おおざっぱな事しか言えないんだなあ、これが、、、。でも結果、よい音が出るようになれば良いのであった。
カラオケのデータ制作は、東京のデータ制作・楽譜出版会社、兼、音楽プロダクションに所属して、大分の自宅でレッスンのかたわら、ネットでデータのやり取りをして働いた。
有名なゲームの作曲依頼?コンペ?の話とかも舞い込んでくるんだが、私はゲームをしたことが無いので曲の想像がつかず、お断りした。携帯の着メロとかも、、、。
とにかく、いろんな話が舞い込んでくるんだが、私の体力では持ちそうにないので、殆ど断っていた記憶がある。す、すみません、、、
ちゃんとした親切丁寧な会社だったが、怠け者の私には締め切りのある仕事は向かなかった(笑)。昔、漫画家が締め切り前によく失踪(笑)してたが、その気持ちが当時の私にはよく分かった。
休み休み2年くらい?働いた。一応、締め切りを破ったことはなかったが、、、。
今でも私が作ったカラオケ曲が、数十曲ではあるが全国のカラオケボックスで流れてると思う。
私は基本カラオケには行かないので分からない。 え~
そんなもんである。
制作に携わってた時は何度か一人でカラオケ店に入って、自分の制作した曲をちゃんといい音に鳴ってるかチェックした。
中には凄く有名な曲もちらほらあるので、君たちも私のデータで歌ってたり、そこから派生して作られた楽譜等を買ってたりするかもしれないね? 具体的な曲名は契約上、多分言えない?けど、、、。
当時の事を話すとネタは尽きないが、厳しい機密保持契約?にも触れてしまう恐れがあるので、いずれは少し書きたいけど、あまりコアなところは書けないね。
うん、立派な会社がゆえに、うん、そこへんはあの業界は厳しいみたいですね。