アクセスランキング

Powered by Six Apart

プロフィール

フォトアルバム

橋本  明

14歳からギターを始める。 16歳からロックバンドを始める。 18歳からヤマハ系の講師や、のちにプロとなったミュージシャン達とバンドを結成、数々のコンテストで賞を得る。 25歳 大分市の河合楽器エレキギター教室の創設者となる。 すぐにアコースティックギター講師も兼任。 同時にピアノの先生等のDTM(コンピューター音楽)講師も勤める。 35歳 河合楽器を退社し、36歳、古い一軒家を借りてアキラギター教室を開く。 一時期、全国のカラオケ配信のMIDI制作業務も兼任する。 現在は畑中(奥田)教室に移転。   写真は23歳くらいの頃の、ステージの時のもの。

« ギター男子とのトーク 38 「うわっ!メキシコ人!?」 | メイン | ギター女子とのトーク 47 「先生って、なんかあ〜?、、、」 »

2018年2月11日 (日)

ギター男子とのトーク 39 「音楽理論って、、」

ある男性生徒さんが、

 

「先生? やっぱり理論を知っておかないとアドリブとか無理なんじゃないですかねえ?think

 

「う~ん、〇〇さん、そうとも言えるし、そうとも言えないですねえ?coldsweats01

 

「エッsign03 それはどういうことですかあ?eye

  

「あのね、それはね、、、confident

 

私が若い頃、なんか、『理論を知らない俺はダメなんじゃないだろうか?、理論を知らないから、上手く弾けないんじゃないだろうか?』

、とか、よく思ってて、悩んでた。confident

 

コードの構成音とかを把握する、『コード理論』、」は高校生の時、その本を買って1週間ほどでマスターしていたが、音楽理論の本は確か当時の大分の書店や楽器店には、めぼしいものは置いてなかったと思う。

 

高校卒業して、23歳までモヤモヤしながらも、ヤマハ系の講師たちとバンドをしていた。ピアノの人が作ってきた難解なコード進行の曲も全て、手探りと勘でもって、なんとかこなしていたが、それも限界を感じていた。think

 

時折、そのピアノの人が理論の端くれを教えてくれたが、足早に説明されて、さっぱりよくわからなかった。think

 

23歳の時、東京の音楽専門学校に行って帰ってきた後輩の音楽仲間が、その学校で使ってた理論書の初級編を、もう覚えたのでいらないから、ということで私にくれた。

 

私は1週間読み続けた。

 

理解できた。shine

 

でも、だからと言って私のギターが上手くなるはずもなかったsweat01

 

私はギターですんなりそれを弾けない、表現できないことに気づいたのだった。punch

 

でも、唯一変わったことがあった。flair

 

それは理論を知らないことへの劣等感からの解放shineであった。

 

そう、私は、『理論恐怖症sign03』、にかかっていたのだ。

 

、、、理論というのは概ね誰かがやったことに対して、後付けで、『こう弾くのもアリですね。なぜなら~、、、。』、というのが多いかも?

 

それゆえか?、日々、新しい理論が追加されていき、到底全てについてはいけない気がする。coldsweats02

 

まあ、科学でもなんでも、終わりや完成系が見えるようでは、それは未熟な世界でもある。

 

音楽は、『終わり』、がない! だから素晴らしいsign03

 

私はまだ、『始まり』、の方しか知らない! 幸せだsign01

 

、ということにしておこう!(笑) 

 

今年はもうちょっとギターを、ただ弾くことに専念してみようかなあ?

 

ああ、でも若干名、理論を教えているし、そういうわけにもいかないかあ?pig

ああ、作曲理論も教えているし、、、。

 

でも、基本はまずあまり考えずに、弾いてみること、作曲してみること! なんだと思います。 

 

そこで、マンネリ・行き詰まったら、少し理論を使って勉強、、、。

 

「先生は、なぜそんなに滑らかにいろんなスケールが弾けるんですかあ?」

 

「ん? 君にはそう聴こえるのかい? 私には自分はまだまだ、ぎこちないアドリブだと思ってるんだけど、、、」

 

ああ、果てしない、、、、。snailchickpenguindogfishfishfish