音楽回顧録 16 {高校一年、文化祭予選、、、先輩の死}
ああ、音楽回顧録、すっかり忘れてましたぁ(笑)
私の通っていた雄城台高校は、当初、勉強に非常に力を入れていた。
(あっ当時もカラー写真はありましたあ(笑)、あえてのモノクロです!)
上野、舞鶴と並ぶ、ガリ勉的進学校だった。
今はどうかは知らないが、当時は音楽を、ロックなどをする奴は少し、アウトゾーン的な感覚で見られてたような気がする。
私は最初は先生から、「お前は東大も狙える!私にはわかるんだよ!頭のいい子は目が違うんだよ!」、と、「はっぱ」、をかけられていたが、まあ、なんせ勉強はせずにギターばっかりの日々。
時折、奇跡的に東大の入試問題をいち早く解いて周りを驚かせたりはあったが、、、やっぱり基本は音楽バカでバカだった。
年に一度の文化祭、、、出たかった。しかし私は三年間一度も出られなかった。
当時の雄城台は音楽レベル、というかシステム的に壁が高かった。
まず、1学年から一組だけ、三年生は2組、「フォーク」、と「ロック」、って事だった。
しかも同じ学年には、のちにプロになった(のちに 私の曲をパクった(笑))、上手いギタリストS君がいた。
私はエレキをしたかったが、まだ買えてなくて、アコギでエレキの真似をしていた。
その噂を聞いて隣の組の初対面のS君が、「アキラ君、君のうわさを聞いてるよ!3週間後の文化祭オーディションに僕たちと出ろうよ 曲はビートルズの「ホワイル・マイギター・ジェントリー・ウイープス」だよ」
「あっでも、僕、エレキ持ってないんだよ、、。」
「うん、知ってる。貸してあげるよ。」
「あっ!ありがとう!じゃあ、出るよ!よろしく」
ドラムのM君のグレコのSGを借りて私は大喜び! 真剣に家で練習した。
練習はスタジオで一回だけだったと思う。そのスタジオにあのプロになった2つ上の先輩・Mさんが入ってきて、「ちょっと聴いていっていいかなあ?」
「は、はい!どうぞ!よ、よろしくお願いします」
演奏が終わると、Mさんが、
「君、本当にエレキ始めて一週間なの 凄く上手いね! ただ、リバーブはかけ過ぎだね、、、。うん、まあ頑張って!」、っと言ってくれた。いまだに鮮明に覚えている。
本番、M君から借りたエフェクター、「ワウワウ」、が効かなくなって動揺したが、なんとか弾けた。
演奏が終わった後、女子の、「ギターばっかり上手くてもねえ?」、という声が聞こえた。いまだにテープに記録としてその声も含め、演奏が残っているが、「ああ、すみません、私含めてみんな、とっても下手でしたぁ~」
少し前、M先輩は病気で若くして亡くなってしまった。その頃、私は彼の会社で音楽データ制作をしたいと、コンタクトをとっていた矢先だったが、思いあってあきらめた。
私は彼のトリビュートアルバムを買った。
ご冥福をお祈りいたします。