レッスン風景 125 「先生、DTM、楽しくてしょうがないです!、次のレッスンが待ちどおしいです。」

彼は、8月ごろだったろうか?、DTM一式を買って、私にDTM打ち込みを習い始めていたのだった。

 

彼のウィンドウズは古いので、買い替えることにしたが、私の4・5年前のMacは25万円近くした。

 

私の高かったMacよりも、現在の、彼の14万円位のMacの方が、断然、処理能力が速いのだった。

 

そして彼は、『自分の好きな曲の打ち込みをしたい!』、と言って、ドラム・ベースを基本に、私が教えた譜面の読み方に従って打ち込み始めて、彼も頭が良いらしくて、すぐに把握して、きちんと打ち込め始めた。

 

まぁ、のっぺりと打ち込んでいたので、デジパフォのサーチ機能を使って、裏拍を、ちょっと弱めるなんてことを教えた。

 

それだけでも、ドラムやベースが、ちょっとプロっぽくなっていった。

 

彼は言った。

 

「最近このDTMが楽しくてしょうがないです。次週のレッスンが来るまで待ち遠しくてたまらないです。」 

 

と言った。

 

今習ってるDTMの大学生もそうだが、なんか、DTMには、生徒さんを魅了する何か?、があるようだ。

 

もちろん、私も若い頃から、理系の人間なんで、機械が好きで、DTMで打ち込んで、きれいに再生されると、ものすごくうれしい気持ちになるのだった。

 

まぁ、機械のおかげなんだけどね?、、、。

 

まぁ、だけど、今のプロの現場がそのような作業を、多く行ってるみたいで、それを否定する要素は、全くないと思われるのだった。

 

失敗した演奏も、そこの部分だけを、部分的に録り直せるし、まぁ、プロも多分、そういうことをしてるだろう?、と思う。

 

ギターに限らず、歌に至っても、まぁ、1つの音楽を作り上げるにあたって、杓子定規に、最初から最後まで、ノンストップで演奏する必要もない、とは思う。

 

最終的に、良い音楽ができれば良いのだ!、と思う。

 

ただ、それだとしても、やっぱり、歌にしても、楽器にしても、(機械の力を借りるのも、アリ、だとは思うけど、ゆくゆくは、演奏の技術力を鍛えていないと、いくら機械の力を、借りても、だめなこと、(限界!)がある!、、と言うことを理解しておくべきだと私は思う。